一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

メッセージ・ファイル

 

 

蝋燭と燭台が照らすステンドグラスの七彩の元で、 凍えた銀食器を撫でるように、私の意識と錆びた自転車は霧を裂き朝焼けを漕いでいた。

 

美しい風景と色彩を眺めたところで、 私の力では読者の瞼の裏に概形ですら描けない。

クロード・ モネの名画に霞を足したようにしか物事を捉えられず、 書くのも違わなかった。

何ら理由のない感情任せの文章は、 無論人々に理解されることもなくブックスタンドに萎れて、 今も埃を被っている。

 

 

元々、文章を書こうとしたのは、 凡有の才を活かした作家と欠けた姿を是とした友人と出会ったことに他ならない。

そこから空と光を心に写すようになり、 気が向けばメッセージカードの裏側に走り書きを残し、 充足感に体を委ねていた。

思えば無いものねだりの余興に過ぎないように見えて、 今こうして文を書いていることから察するに、あながち下手の横好きではなかったらしい。「努力が報われた」と賞賛する人もいる。

しかし今も昔も書くことに対する姿勢は何も進歩していない。

 

他にも書こうとした特別な理由があったのかもしれないし、 なかったのかもしれない。

ただ、 重要なのはそんな二律背反の事象を探ることではなく、 今書いているという事実と、 それを支えている一人の男がいるということだけだ。

彼は私の不透明な文に真剣に目を通し、価値を与えてくれた。 それがベルボーイにチップを払うような怠慢と事務的な意味の行為 だとしても十分な釣銭が来る。

 

例え、 彼にとって私が駅のダストボックスに潰し投げ入れられる朝刊のよ うな存在であったとしても、

それでも、私は彼が必要だった。

 

文章は自己表現の最たる例であるが、 真摯な他者の眼差しを以て初めて、その体を結実する。

彼がいなかった場合の、文章が私の心に牙を剥き、 文を書く指を食い千切られ、 書くのを辞めるまでの一連の動作は想像に難くない。

白骨と柘榴を潰しながら、 キーボードに朱色を塗る趣味は残念ながら私にはない。

 

この文は一つの到着点であり、花束であり、けじめである。

ブックスタンドに萎れた文章、 憧れた風景から埃とセピア色の褪せを掃うために、 私は世界を巻き戻す。それが彼に対する最大限の花束、 作家として歩むためのけじめ、 そして過去の自分が憧れた到着点となるだろう。

 

冬の朝霧は春と共に透明さを増し、 言葉は確固たる七彩を瞼に描く時が来た。

 

 

 

 

この話は2014年の3月24日から始まり、同じ年の12月16日に終る。