一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

Snow falling for A

 

 

街は久方ぶりの大雪に見舞われていた。

三月に降る雪は、季節を凍らせるように冷たい。

深夜零時、外を覗けば人の姿はなく、ただ街頭の明かりだけ。

とりわけ目的があったわけではない。思い立っただけだが、 散歩に出かけることにした。

 

病み明けの身体は冷気に当てられて、息も切れずに進んでいく。

外は小さな異世界だった。

空を舞う粉雪は、漆黒の天蓋を彩り、積もった白い結晶は、 街を照らす。

真夜中の雪原は、夕暮れのように明るい。

 

「___プロデューサーさん?」

素っ頓狂な声の出元は、私の担当アイドルだった。

「甘奈?どうしたんだこんな夜中に」

「プロデューサーさんこそ…どうしたの?」

「こんなに雪が綺麗だから、誰かと出会える気がしてな」

「…なにそれ」

聞けば甘奈は勉強のための缶コーヒーを買いに出てきていたらしい 。

この時期に宿題なんて出されていないはずなのに、 自習とは熱心なことだ。

寒さから吐いた息を目で追うと、 そこにはいつぞやの坂道があった。

「なぁ。せっかく出会えたから、前行った頂上に行ってみないか」

「いいけど…危なくない?」

「そうかもしれないけど、二人なら大丈夫だ」

「……!うん!」

彼女ととりとめのないことを話し、白いだけの街をゆく。

 

天井へ続く坂道に至る頃には、疎らにあった人影さえ消え、 遂にこの異世界には自分と甘奈しかいなくなった。

真白だった大降りだった空も、 いつの間にか粉雪がひらひらと舞い降りる。

「寒いね….」

そう呟く甘奈は素手を擦り合わせていた。

この世界に二人なら、少しの特別は許されるだろう。 何も言わずポケットから片手を取り出し、甘奈に差し出す。

甘奈の頬に朱が差し、夢でも見ているかのような顔で固まった。 嫌だったのかな、こちらが手を引こうとした刹那、 決心が付いたのか恥ずかしそうにおずおずと腕を絡ませてきた。

そこまで許可したわけじゃないんだけどな…。でもまぁ、 横を見ると甘奈は固まっているし追求するのは無粋というものだろ う。

 

踏み均す雪の音と甘奈の心拍数以外何も聞こえないまま、 気付けば中腹まで辿り着いていた。

ガードレールから俯瞰した風景は、 白銀舞う橙に染まった箱庭だった。

「___綺麗」

ようやく口を開いた甘奈の本心だった。

「……あぁ」

「___ねぇ、プロデューサーさん」

「この景色も、明日には無くなっちゃうんだよね…」

甘奈の腕に入る力が強まったのは錯覚だろうか。

「明日は会えないかもしれないけど」

「想い焦がれれば、いつかまたこの光景と再開できるさ」

「そっか…そうだよね…ありがと!」

そう答える甘奈の表情は晴れ切っていた。

 


いつしか雪は止み、雲間からは星が降り注いでいた。

道半ばではまだ遠い。

今日の夜を想えるように、

雪の日を唄えるように、

二人は満天への道を歩み続ける。