一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

幻覚の創造とその苦悩

 

最近、訳あってこの世に生を受けてから初めて合同誌に寄稿したのだよ。

ぼくは創作自体こそ嫌いではないが、熟達しているわけではない。

ただ機嫌が良い時期だったので、話が来たときには甘んじて「ふむ、折角だ」となったわけだ。

公序良俗に反するものであれば、サークル主が一刀で切り伏せてくれるだろう。

思い立てば〆切まで二週間。

「いやはや、我が命運もはやこれまでか」と思い、何故かWordが使えなくなったパソコンを「おいおい、馬鹿をやってるんじゃないよ」と叩いていたのだが、

これが想像以上の難航を強いられた。

 

ぼくから言わせれば、別段地の文を考える理由は存在しない。

筆を取るものの特権階級として、担い手の形式を否定される筋合いはないのだよ。

大胆に換言すれば『やりたい放題すればいい』ということだ。

ぼくも

・接続語は被らないようにする

・文章は総じて読み難いものだ。よって句読点と改行を重要視する

・適度に癖を付けて、適度に簡易に

取るに足らない事象だがね。ぼくは大切だと認識している。

 

補足すれば、ストーリーも同様のものだ。

・創作の大筋を考える

・綴るべき言葉を先に入力する

・後は全体に整合性を生み出す

最も肝要であるのは、綴るべき言葉を忘れないうちに記録しておこうという心構えだと思うよ、ぼかあね。

 

しかしながら、キャラクターの台詞は都合よくいかないものなのだよ。

まず、ぼくは本家から言葉を引用することにした。

具体例としては「ラムネ色の覚悟」あるいは「曲がり角のランウェイ」などだ。

端的に結論を述べれば、これは失敗だったがね。

事実を模倣することは、切り貼りのような感想を抱かせてしまう、

対象に精通した者が読むとあれば尚更だ。

そこで先達の者たちに伺ったところ「書くキャラが頭の中で喋らなかったらSS書けないでしょ」と。

これはぼくにとって盲点であった。

 

いやまて、やめたまえ。

そんな初歩的なことも知らなかったのかと可哀想な眼差しを送るのはやめたまえ。

こうして理解を深めたぼくは、机で悶えながら文章を書き上げたのであった。

 

いやはや、違和感が希薄な幻覚を作成するのに注力するなど、

人生で得られ難い、実に興味深い体験だった。もう懲り懲りだがね。

 

しかし、こう述べた今もキャラクターを模倣をして文章を書いている。やれやれ。