一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

Ocean Viewの蛙

 

 

「…おもしれー奴」

乙女ゲーといえば、な台詞である。

物語を始めるための起で、特に理由はない言葉ではあるが

「これ大分失礼じゃね??」

 

確かに「お前ほんと面白くねえよな、黙れよ」って吐き捨てられるよりかは褒め言葉なのかもしれない。

 

ただ、ここでの「おもしれー奴」とは

キチガイ」とか「サイコパス」とか「人として終わってる」とか、檻の中の珍獣を眺めているようなニュアンスである。

つまり全然褒められてないどころか貶されている。

 

この言葉を好意的に受け取るというのは

「何もない自分」より「狂ったものでも人とは違うアイデンティティを獲得したい」という意識の表れでないか。

 

何とも悲しい現実。無個性では気になるあの人は振り返ってくれない…と人ごとのように受け流したいものの、このインターネットの世界では割とありふれた考えである。

 

発信は見て貰わなければ意味はない。見てもらうための一つの手段が狂気のピエロになることである。

ピエロを演じたその先に自分を見失った例は挙げたらキリがない。

ただ個性を求められるのも、発信でしか自己を表現できないネットの特徴でもある。

狂気の先に強い個性と影響力を握りネット弁慶になるのも一つの選択肢。

 

ただ末路は、周囲からの串刺と相場は決まってる。

ともするとインターネットは大海ではあるが、眺める程度で井の中にいた方が幸せなのかもしれない。