一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

夜、涼風、雨上がりの階段

 

涼風が夏の終わりを運んでくると中2の塾帰りを思い出す。

同じ部活で交流があるからと話していた塾友との帰り道、くだらない話と愚痴を言い合いながら笑いあった風景を今でも覚えている。

何も特別な風景じゃないはずなのに

 

 

中2の頃、別校舎の上のクラスに行かないかと声が掛かった。周りは皆「遠いから、知り合いがいないから」と断る中で、自分一人は話に乗った。

理由は単純で、友達と呼べる人が少なく変わるのは風景だけだと思っていた節があるから。

自分はメジャーな集まりに所属できる性格ではない。完成したものに手を加えるのは流儀に反する。なので自分の周りの友人は大体外れ者だ。疎を集まりにしてグループを作ること、そしてある程度しっかりしたら自分は抜ける、そんなことを繰り返していた。

その上がったクラスで出会ったのが友人だった。彼もまた疎だった。

 

時は過ぎ中3の時、上のクラスに行かないかと声が掛かった。通塾時間が40分もかかるというのに、自分には勉強しかないという理由だけで道を決めた。

劣等感を常に抱く自分の選択としては妥当だったと今でも思う。誇れることなど何もなく、誇れると思った先にはまだ上がいて、今まで満たされたことのない感情はこれから先も空のまま。この見立てが付く歳になったのは成長か退化か。

もちろん他の仲間にも声が掛かった。しかし話に乗ったのは自分と友人しかいなかった。友人は病気がちで、遠出になることを心配して行かないほうがいいと進言したが、彼は一緒に行くことを選んだ。

 

秋口、クラスが確定し自分と友人は別クラスになった。

後から来た自分が何故か上クラスになり、友人は下のクラスになった。彼は沈み、自分は浮かれなかった。

 

そして受験、自分と友人は同じ高校に受かった。よりにもよって何故その高校に受かるのかとお互い思いながら、結果として同じ高校を選んだ。

 

高校になっても交流はあったが、自分は不安だった。あまりにも友人がこちらに依存していたからだ。

そう思って彼の誘いを断る機会を増やした。友人の良さはよく分かっていたし、やっていけると信じていた。

そんな時期に厄ネタと出会うことになるのだが、それはまた別の物語。

 

大学を卒業する時にも友人とばったり出会った。あの時と変わらず話しかけてきて、あの時と同じように誘ってきた。中3の時と同じように。

 

 

彼にとって自分は何だったのか未だに分からない。

ただあの風景だけは今も鮮明に覚えている。