一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

【精神のデザイア】西城樹里

 

赤光照らすは見慣れた自室

その中で見慣れない樹里が一人。

胸元を晒しながら、いつもよりいくらか緊張した面持ちでベッドに座り込んでいた。

どうしてこんなことになったのかを思い返す。

 

この日は朝から夕方までのレッスン。今回のトレーナーは格段厳しいとの噂に違わず、樹里も疲弊し切っていた。

これも全ては樹里のためである。W.I.N.G.を突破するぐらいであったら、一を極めればダンベルに殴られる以外は造作のないことだ。まあ最近はそのせいで、Viの審査員の判定基準を強めているともっぱらの噂だが。

ともかく、アイドルとして輝くためには新たな強みが必要だ。いつまでも顔の良さに頼っているわけにもいかない。

「樹里、今日のレッスンはどうだった?」

「見てれば大体は分かるだろ……。想像の三倍はきつかったぞ」

「うん。ならレッスンを組んだ甲斐もあったってもんだ」

今日のメインはダンスレッスン、控えめに言って樹里が得意なジャンルではない。

「あー、プロデューサー。シャワールームって空いてねーか?」

「いや、他の子がシャワーに入ってるから当分は開かないだろうな。申し訳ない」

「んー…そうか」

自分が居残りしてレッスンを受けていたことが原因だと気づいているのだろう。それ以上樹里は何も言わなかった。

「てかプロデューサー、私がレッスンしてる間にシャワー浴びただろ」

「…よく気付いたな」

うちの事務所は仮眠室がある関係上、シャワールームも兼用になっている。仮眠室がある仕事場なぞ真っ黒なわけだが、利用率No.1の自分が文句を言える立場ではないので、ありがたく使わせてもらっている。

「なんかずりーぞ」

樹里があからさまに不機嫌な顔になる。

そんなこと言われてもなぁ。樹里はダンスレッスンに例のトレーナーを当てがったのを不服に感じているのか、棘のある言葉を投げつけてくる。

「そんなに手っ取り早く風呂に入りたいんだったら、うちでシャワー浴びるか?」

散漫になった脳が適当な言葉を出力する。こちとら勤務時間は過ぎているわけだし、退勤したところで何も文句は言われない。通勤時間短縮のためにアイドルに内緒で徒歩五分のアパートに引っ越したので、行けなくない距離だ。

言葉を聞いた樹里は硬直し切っていた。

日は傾き気温も右肩下がり。真夏日の陽気の頃からトレーニングを開始していた身体には悪影響しか及ぼさない。そんな思いを込めての一言だったが。

「冷静に考えて独り身の男の家に上がるのは嫌だよな。もう少し待ってくれれば順番が

「行く」

振り向くと顔を背けた樹里が確かにそう答えた。

「案内しろよ。プロデューサー」

誘った手前取り消すことも出来ないので

葉月さんに「退勤しますね」と声をかけて、普段切らないタイムカードを切る。

 

家は少し歩いた先の川沿いにあるアパート、赤錆びた鉄板の階段を上った二階が自分の部屋だ。

昭和に戻ったような佇まいのアパートに住む人などおらず、自分以外の住居者はいない。大家は坂上の立派な一軒家に住んでいるため、本当に自分以外誰も住んではいないのだ。作られた当時はかなり拘ったアパートだったらしく、現代で生活する上で必要なものはすべて揃っているし、雨漏りもしていないし、防音もキッチリしている。

これなら外見を変えれば引く手数多の物件だろうに…。機能性しか拘らない大家のスタンスが露骨に現れている。

 

いつもは一人分のコツコツと階段を上る音が、今だけ二人分聞こえる。

「あんなにアイドルをプロデュースしてるのに、なんつーか意外なところに住んでんだな」

「住んでみると快適なんだぞ?」

そう言った割に中々鍵が開かない。しょうがなく無理やり鍵を差し込み半回転。建て付けの悪さはそろそろ大家に訴えてもいいかもしれない。

「ほら、我が家だ。さっさとシャワー浴びてきな」

「ん」

答えはするものの樹里はこちらの声に耳を傾けず、興味深く部屋を散策している。

普段寝るだけの我が家に樹里の匂いがあるのは不思議な気分だった。

この部屋にクーラーはないので窓を開け網戸にする。外はもう夕焼けに染まり切って、夜の訪れを予感させていた。

外を感慨深く眺めていたら、いつのまにか樹里はポスっとベッドに腰を掛けていた。ちゃっかり置いてあったサメの抱き枕を抱え込んでいる。

汗ばんだ樹里は色香を漂わせていた。肌にくっ付いたTシャツから伸びる腕は抱き枕を緩やかに包み、女性らしい曲線を描いていた。

湿り気を帯びて衣服の役割の半分は失われている短パン。狭間からは青の肌布が覗いており、締まった脚は行き場に悩むように左右していた。

「そろそろ身体が冷えちゃうぞ」

樹里はむっとした顔で、右手でベッドを叩く。どうやら座れということらしい。

呆れながら自分もベッドに腰掛けると、肩に綺麗に染め上がった金髪の頭を預けてきた。

樹里からは甘酸っぱい思春期の香りが漂い、焚かれた香のように意識を麻痺させる。

「この抱き枕、プロデューサーの匂いがする」

「それはどう捉えていいものか。

樹里からも樹里の香りがするぞ」

「…汗臭いだろアタシ」

「俺は樹里の香りは好きだけどな」

「……それアタシ以外には絶対言うなよ」

 

「アタシもプロデューサーの匂いは嫌いじゃない。

__だからズルい」

あぁ、不機嫌だったのはそういうことか

「樹里は汗の匂いが流されて不満だったと。

だから今は抱き枕を抱えてるわけだ」

「んなっ!ち、ちげーよ!!」

至近距離で投げ付けられた。いくら枕とはいえ痛い。

「わ、悪い」

 

「でもなんつーか、フェアじゃないよな」

「そうか」

投げ捨てられた抱き枕を取りに行く間、

樹里は開け放った窓を閉めていた。

「風だけじゃお気に召さなかったのか?

クーラー入れるよ」

「...別にそういうことじゃねーよ。

___アンタもプロデューサーなら、女心の一つや二つは分かったほうがいいんじゃねーか?」

「分かってるつもりさ、樹里のことは。

だからこそ樹里の言葉で聞きたい」

 

そう言われると、樹里はいつもよりいくらか緊張した面持ちで顔を赤らめるのであった。