一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

talk in alnilaM

 

 

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仕事に疲れた俺は行きつけのビールバーに来ていた。
客足はこのご時世と違わず疎らで、店内を洋楽のみが覆っていた。

この仕事についてからというもの、不規則な生活リズムが祟って人間関係は崩れ、一人で飲む機会が必然的に増えていった。
今日もいつもと違わず、連れは存在しない。
陰気な気持ちをを振り払うべく、小金色のグラスで傾け喉と心を潤すのだ。

 

カランコロンと心地よい音色とガタンと入口のドアが開かれる音がした。新たな客人のようだ。

「やっぱここにいたの?プロデューサーさん?」
この領域には場違いな音色で声をかけてくるのは、プロデュースしているアイドルの甘奈。
「どうしてこんなところに?未成年はお帰り」
「葉月さんがね、監視お願いねって」
…あの事務員め。なんという刺客を。

というか事務所からは五駅以上離れているはずなのに担当を遣わしてくるとは、どうやら本気で飲酒を止めたいらしい。

そんなに健康診断の結果が気に入らなかったのだろうか。確かに肝臓値は良くなかったが。

ともかく梅雨空の中来てくれた担当を立たせっぱなしはないだろう。

「立ったままだと辛いだろうし、こっちに座りな。
__おやっさん!沼津のやつ一つお願い!」
「はいよー」
「あっ!プロデューサーさん!またそんなに飲んで…」
近頃は抑え気味なんだけどな。自分は危険人物として会社的にマークされてるらしい。

「その前にほい、頼んでたザワークラフト」

 

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目の前に小盛りの皿が置かれる。
「?なにこれプロデューサーさん?」
「ザワークラフト、簡単に言えばキャベツの漬物だ。一口食べるか?」
箸で摘み甘奈の口元に運ぶと、受け入れたように目を閉じて口を開けた。
「〜〜〜〜!すっぱい!!」

「ははっ!まぁビールと合わせて食べるものだしねぇ」

小気味よい笑い声を上げて、店主は店の奥に消えていく

 

「...一口飲んでみるか?」
甘奈にこっそり耳打ちする。
甘奈は顔を赤くして静かにグラスに口をつけた。
「にっがぃ…」

「そのままザワークラフトを食べてみ?」
箸を誘導し甘奈は口に含むと
「あっ…美味しい」
「だろ?」
得意げに自分は答えるのであった。

 

円柱と名札が並ぶカウンターは一つの異界である。
この雰囲気に酔わされたのか、甘奈はさっきまでと打って変わって黙々とザワークラフトを口に運ぶのであった。

「遅くなってすまないね。これウインナーの盛り合わせ」
「食べれるものも少ないだろうし。甘奈、好きなだけ食べていいぞ」
「へっ?ありがとうプロデューサーさん。実はお腹ペコペコで…」

「俺はビールでお腹膨れてるし、甘奈の好きな分だけ食べていいぞ」
嘘である。酒を飲むたびにアテは欲しくならないわけはない。
ただ空腹と聞いて、自分が引かないわけにはいかない。
笑顔で口に含む甘奈は可愛い。好きなものを食べて破顔している娘に兎も角いう男がいるだろうか。いや居ない。

 

笑顔を肴に酒を飲む
こういう風景に甘奈なんて、普段はありえない光景。だからこそ進む。
「プロデューサー?飲み過ぎてない…?」
プレートを平らげた甘奈が問う。
「いや、まだまだだよ。最悪甘奈に介抱してもらえばいいし」
「?!…その時は任せて☆」

ほんとこの子は頼られると良い顔するな...。将来悪い男に引っかからないといいが。

「頼みたいものがあったら好きなだけ頼んでいいぞ」
せっかく来てくれたんだ。そんな言葉を投げかけると
「__プロデューサーさんはザワークラフトが好きなの?」
「まぁそうだな、メニューには載ってないけどね」
「メニューに載ってないのに頼んでたの?!」

驚愕の色でこちらの顔を覗いてくる甘奈。

「お客さんよく言うからね。メニューにはないけど、言ってくれれば出すよ」
おやっさんがそう言うと
「ん~~...じゃあザワークラフトを一つお願いします」
甘奈はそう答える。


何かを探るような顔で口に含んでいて、なんなら作るコツまで聞いていて

「そんなに気に入ったのか」と誇らしげな顔をしている自分がいた。

(ほー、砂糖と酢とベーコンの割合が重要なのか…)
と聞きながらグーデンカルロスを開ける。

聞き入ってこちらを見ていない今は絶好のチャンスだ。

空のグラスを渡してちゃっかり追加注文をする。

眼を輝かせ周囲を眺めている甘奈もいずれ大人に成長していくのだろう。

そんな大人になった甘奈にはどんなビールが似合うだろうか。

透き通った黄金色が似合うのは樹里や恋鐘。甘奈が似合うであろうはフルーツビールのリンデマンスやシャポー、モンゴゾあたりの甘くて飲みやすくらしくないものになりそうだ。正直カクテルのほうが似合っている。

甘奈がグラスを傾けるようになる時も、自分はまだ甘奈を担当しているだろうか...。

ふと外を見ると雨は止んでいた。

この後甘奈も帰ることを考えるともう潮時か。

おやっさん、お勘定お願いします」

 

「まいどありがとうございましたー!」
会計を済ませて店を出る
「プロデューサーさん、結構な値段だったけど大丈夫?」
高校生に五桁の会計は刺激的だったようだ
「大丈夫だよ、甘奈が満足したのなら」
「うん…めっちゃ美味しかった!」

どうやらお気に召したようで、

「あのね。甘奈が大人になったら、またここ来たいな」

「いいんじゃないか?あそこ結構一人で来る女性も多いぞ」

「__プロデューサーさんは一緒に来てくれないの...?」

背後にあった存在感が消えた。

振り返ると甘奈は立ち止まり、捨てられた子猫のような瞳を向けていた。

「甘奈が望むなら」

パッと口から出たのは偽りのない本心。

打って変わって甘奈は咲いたような笑顔を浮かべ

「じゃあ、甘奈がオトナになるまで待っててね☆プロデューサーさん!」


この後、全然飲酒を止められなかったということで葉月さんに咎められるのだがそれは別の話。