一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

「世界の終り」というテーマ

 

 

 

「太陽はなぜ今も輝き続けるのか

鳥たちはなぜ唄いつづけるのか

彼らは知らないのだろうか

世界がもう終わってしまったことを」

 

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滅んだ世界を取り扱った文章を好んでいる。

 

勘違いしないで欲しいことは、私が快楽で今まで組み上げられてきた文明が粉砕されていくことを好んでいるわけではないということだ。

 

涼宮ハルヒ」の閉鎖空間、「世界の終り」、「世界の終わり、素晴らしき日々」、「真夏の雪原」、「最終兵器彼女」、「静かなる日々」、「chaos head」、「psyche

 

この感情を生み出したのがロックマンエグゼ3のシークレットエリアであることは間違いない。

墓として聳えるモノリス、病的なまでに白い床と透き通った水、どこまでも広がる空間。

一般的な天国のような華美さはなく、綺麗に終わった光景だけがあった。隠しステージという禍々しさもなく均整の取れた音楽と穏やかさがあった。

そんなようなことを思って文章を書いたこともあった。

 

自分は他者に対しての関心が薄い。

危害が及ばなければ他者は何をしてもいいと思う。

自己に降りかかっても「そういうこともあるよね」の一言で終わらせる。

だから、かの友人にとっての自分が何だったのかが分からない。冗談でもなく、文章を綺麗に終わらせるためでもなく、本当に分からないんだ。

他の人から見れば容易に答えを導けるのは分かってる、だから教えて欲しかった。

 

 

景色を眺めていたい。

小学生の頃、訳もなく休みの日の小学校に入り寝転がり、雲に染まった空と聳える木々を見て重量が反転して白に飲まれているようだと感じて一人興奮したものだ。

 

たまに思い付きで部屋の電気を消す。

祖母の家に泊まる時、決まって豆電球を付けずに雨戸も閉めずに寝るのが習わしだった。その風景こそが最たる特異であり、リフレインの為のみに全ての灯りを落とす。

 

夕暮れの光景を誰よりも愛す。雲と空は一色で表していいものではない。そう思って絵を描いたし評価もされた。だが想いは伝わっていない。

 

 

終わった世界には余分なものが存在しない。

そこには音と、無音と、かつての風景のみが存在する。

だからこそ焦がれている。一つの終わりを。

 

しかし選択には責任が伴う。

自分が「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を評価している点は、主人公そのものが意志を持って世界を選んだことにある。

 

 

 

「僕には責任があるんだ」と僕は言った。

「僕は自分の勝手に作り出した人々や世界をあとに放りだして行ってしまうわけにはいかないんだ。

君には悪いと思うよ。本当に悪いと思うし、君と別れるのはつらい。でも僕は自分でやったことの責任を果たさなくちゃならないんだ。

ここは僕自身の世界なんだ。壁は僕自身を囲む壁で、川は僕自身の中を流れる川で、煙は僕自身を焼く煙なんだ。」 p.617

 

 

 

ある本に焦がれた。

買うまでに四、五年は立っていたのに、その本は自分を待っているかの如く在り続けた。だからこそ手に取る事ができ、世界に焦がれる事の末路を知った。

読ませた友人には「不気味だった。正直合わない」と申し訳なさそうに返された。

その本は中野ブロードウェイで数倍の値段になっており、おそらく世間が価値のあるものだと認めたのだろう。裏を返せば、あの本を読んだ人がそれほどまでに少ないという事実に肩を落とした。

 

 

焦がれたからには責任がある。

僕は背を向けて、人混みの中を南の先に向けて歩き始める。その先には少女と手風琴が僕を待っているはずだった。 

ある晴れた空の下を青い蝶が飛んでいくのが見えた。蝶は空に溶け、呑み込まれていった。

そのあとには僕の行く音だけが残った。