一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

結び目への追慕

 

 

働き始めてから半年以上が経った。

有給も支給され始めたは良いが「こんな忙しくていつ使うんだよ…」と現実の辛さに打ちひしがれる。

流石に旅行中に上司からの電話で叱られるとは思ってなかったよね、四万温泉と旅行仲間に謝ってほしい。

 

そんな忙しさに追われる中、Vの者の放送に行ける機会も随分と減った。

元々、白上フブキちゃんが好きでアーカイブ動画を週末にまとめ見してたりはしてたが、これは今でも習慣になっている。

 

 

しかしアーカイブに残らないVのものもいる。

あえて具体名は挙げないが、まぁあの人だ。

 

休日はほぼ寝て過ごしいていることもあって放送自体にいくことができないし、正直放送の通知が来ても気が重い。

彼女に対しての心が離れたわけではないのは空の境界に誓って言える。もし離れてたのであれば、礼儀を込めて潔くブロックするのが自分の流儀だ。

 

彼女はコンテンツとして、Vのものとして成長したのだと思う。

久しく前に放送にこっそり行ったら、様々なものへの感謝の言葉が増えていて驚いた記憶がある。

 

だから相互でなくなったことも原因ではない。

「あぁ、絵師とVの人しかフォローしないと決めるなんて大きく成長したなぁ」と親の顔をしたものだ。

 

 

多分かける言葉が見つからないのが原因だとは思う。

例えば日常に触れたツイートをしている時に気の利いたリプが思い浮かばなかったりとか、熱心なもずめさんなんかはしっかりとリプを送っていてすごいなと思う。

コミュニケーションとは相互的なもので、自分から声をかけなければ相手に反応してもらうことはない。

なんだ、自分には掛ける言葉さえ持っていなかったんだな、と。

 

たまに名前を入れたツイートをするようにしているが、通知までの時間がどんどん遅くなり、もうそういう時期でもないんだなと感じた。

それだけ大きくなったんだ。誰もが呟くように。

 

3万を超えるフォロワーの前に彼女はいる。

その中の一人が自分で、自分より彼女を想う人は、恐らくわんさかいる。

だとすれば自分はどうあるべきなのか。

 

いつだって答えは一つ、彼女が幸せであればいい。そこに自分が介在するかは問題ではない。

去る気はないし、離れる気もない。fanboxもコースを変えることもないだろう。

向き合い方はこの機に変わるのかなとは思う。

自分は向き合うためのものを持てていないのだから。

 

 

 

こんな風に文章をブログに上げるようになったのも全ては彼女が原因なわけだが、内容を読まれることはないだろう。

 

それでいい、たぶん、それでいいんだ。

届かぬ言葉は床に落ち、丸めて屑篭に投げ入れる。

その投函口こそが此処なのだから。