一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

その声は連歌の如く

 

 

 

 

「生者と死者の違いなんてのは、そう。煙草が旨いかどうかの違いだろ」

 

そう言って、橙子はああ、と大きく頷いた。

 

「そうか、それはそれで大きな違いだ。こいつに味がないのでは、生きていてもしようがないものね」

 

くすくすと橙子は笑う。

 

 

 

世界は勤勉な事に、私が起きている時も眠っていても回り続けているらしい。

人間関係もそんなもので、「貴方じゃなきゃいけない」なんて言葉を投げかけてくるのは書物の中の女しかいない。というか現実に居てもらっても困る。

個性はより強い個性に押しつぶされて、個人固有性は凡百に成り果てる。

それが普通。特別を夢見た果てに擦り減って至るもの。

 

 

となると自分はどうして生きているのか。

他のものと変わらないのであれば、自分という存在が生きていく必要もない。

代わりがいるのであれば自分は必要がない。思い難くはあるが選択肢の一つとしては浮かぶだろう。

 

答えは単純で、この魂を持つ身体は代えが効かないからだと私は思う。

飯を食って満足する事、風呂に入り癒される事、布団に入って寝る事。これら全ては土の下では出来ない。

 

景色だってそう。鮮やかな風景は禅窓によって演出されるものだ。身体がなければ雅に感じることもない。

 

一つ言えるのは、私の窓から映る景色はまだ見捨てたものではない。それだけが生きる理由。

 

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