一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

手の届く快適さ

 

私は周回し、彼はvtuberの放送を見ていた午前3時半

 

大学の時から週に一度は必ず襲撃している友人の家がある。

目的意識、共通の話題、使命感なんてものはあるはずもなく、ふらーっと立ち寄って朝までいるようなそんな関係。

まぁでもクリスマスとかイベントのたびには集まってパーティーを開く程度には親しい仲間。

 

珍しく久々の襲撃だった。記憶が正しければ3ヶ月は間が空いていたと思う。

だからと言って会話が弾んだかといえばそんなことはなく、当たり前のように各々がやりたいことをする。多分10回ぐらいしか話していないんじゃないかな。

 

そんな空間だから篦棒に居心地がいい。

もう一人がいつか放った言葉「喋らなくていいっていうのは楽だよね」はあながち間違ってはいない。

会話しなけりゃ一緒にいる意味がないと思う人もいるかもしれない。一理あるとは思う。

 

ただまぁなんというか。そこにいていつでも話せる環境、布団の中から手が届く範囲というか。そんな距離感が非常に心地よい。

 

近頃は通話用のものを使えば気軽に繋がれる世の中だけれども、何もなしに繋がれる、現実に手が届くのは嬉しいものだ。

 

だからまた来週も、これからもきっと、無音と手が届く空間を訪ねに行く。