一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

貴方のための物語

 

 

何故、筆を握る

 

 

 

自分はSSというものを書いたことがない。

描こうと思ったことがなかったというのも確かだし、自分の中に描く技能があるかと聞かれれば首を傾けざるをえない。

 

文章を書く為に必要なのは結論である。

つまり「このキャラクターはこうなってほしい」という終わりから物語は始まるのだ。

 

 

私が文を書く上で一番意識していることは「二本線」だと何処かで話したことがある。

これは「進んでいく物語の導線」と「結論から逆に引かれていく水引」の二つを指す。

分かりやすく言い換えるのであれば、伏線を予め敷いておくということである。

 

私のブログの記事はタイトルを見れば何を言いたいのか一瞬で判明する。

すぐ分かっても読む気は失せるから「?」と疑問符が浮くようなものに挿げ替えてはいるが、これが意識の代表例だろう。

 

 

話を戻すとSSである。

後味の悪いバッドエンドなぞ観客は求めていないので、必然的に幸せな結末を想像する必要がある。

もちろんパワポケで小学時代を過ごした自分としてはバッドエンドもかなりの好みで、4年前の哀れなウサギさんの同人誌とかめっちゃ好みだが、それとこれとは話が別だ。

 

さて、目の前にいるのは一人のキャラクター。

報われない負けヒロインでもなく、勝ちの確定したメインヒロインでもないが、主人公とは良い感じになっている。

 

ソーシャルゲームにおいて明確な勝ち負けは存在しない。あるとすれば「引いてコミュを見れたかどうか」の一点に尽きる。

んで欲しいキャラは当然引く。やってないゲームでもわざわざ天井をする。そうだよな日菜子?

 

 

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この時点で、私の中の日菜子の勝ちは確定するわけである。いくら三船さんに誘惑されようが、桃華ちゃまの両親に紹介されようが、日菜子と添い遂げる。

 

ではSSを描くとして、私は誰のSSを描くだろうか?

 

迷うことなく日菜子である。

 

でも日菜子はもうコミュからして結論は決まっているわけである。その道中も詳細に描かれている。

 

この時点で私が描く必要なんてないのだ。

なぜなら彼女はもう報われている。

 

 

私が筆を取る理由の中には「描くことによって誰かの為になる」という醜いエゴイズムが含まれているのは間違いない。

だからこそ、日菜子が既が幸福な物語に私は要らない。

 

今回は担当ということもあり、日菜子を例に挙げたが他の子だってそうだ。

 

 

 

ただ、もし「貴方が描く○○を見たい」という理由が出来たのであれば、頭を掻き毟って描かせていただこう。

 

それが誰かの為になるのなら