一升瓶の中の海月

気分で更新される思考の投函口

移ろう季節の中で

 

 

推しが自分のRTした絵にファボを付けた。

私は彼女からもうフォローされていないことを考えると、まだリストか何かに入れられているのだろう。

それが少し嬉しかった。

 

 

社会人になってから一年が経とうとしている。

指摘を受けて/叱られて/詰められて/ミスをして/怒鳴られて/暴言を吐かれて/やらかして/失望されて

あんまり良い思い出はない。

自分は基本的に受けた恩/仇は、形はどうあれ大切な感情であるため忘れる事のないようにしてはいる。

良い機会なので振り返ってみると、褒められたことなんて片手で数えられる程度しかないな。なんてね

 

原因は全て自分にあるというのも分かっているが、やらかした先輩が責任転換してキレているのも目にするので、恐らくそれが正しい在り方なんだろな。

 

でもまぁこの仕事を続けているのは、何だかんだ楽しいという点に尽きる。

良い関わりは何よりも救いだ。その関わりの対象が他業種とは異なるもので良かった。

 

 

「歳を取ると時が経つのは早い」

という言葉はよく言われているが、単に仕事が忙しいから短く感じるだけじゃね?と最近思う。

学生時代を振り返れば、やるべきことなんてほとんどなくて、シコって寝て酒飲んで大学行くくらいしかやることがなかったが、今はそうじゃない。

山ほどの仕事をひたすらアビリティレールのように消化しないとタイムオーバーだ。

密度があまりにも違い過ぎる。勿論仕事はやっても自分の為になるものは少ないので、得るものは給料と疲労ぐらいしかないわけだが。

 

そんな日々だから、休みの日は基本的に昼の2時に目が覚める。

嘘付いた。朝7時に目が覚めて朝飯を食って意識が飛んで昼の2時だ。

要するに飯が体内に流し込まれれば1日中寝てるんじゃないかってレベルの生活。

 

趣味なんてものは当然出来ない。

繁忙期真っ最中の今は割と週休も吹き飛んでいる。

そんな中で推しを追い掛けるのは正直出来ない。あんだけ夢に見た推しでさえ難しい。

逆に自分が日々に追われてるなんてギャグだ。

 

関係性は双方的なものだから、離れていくのは当然のこと。

ただ今回の出来事は

「よ!」

と挨拶されたようで、

もう会えないわけではないんだな、と。

 

 

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